危められた日日 - 近村博

危められた日日

Add: qilakod79 - Date: 2020-11-25 06:54:03 - Views: 9840 - Clicks: 3349

神奈川県 神奈川県史 通史編4 近代・現代(1) 政治・行政1 明治元年5月の箱根戦争 (明治10年御届 画工 早川松山 出板人 小林鉄次郎. 現代日本教会史論 - gozaru. 中村敏雄さんまたしても届かず-(合掌) | 決勝 山田晃寛 中村敏雄 準決勝 山田晃寛 中七海 (本山三小:県小学生名人) 中村敏雄 中村聡志 1回戦 山田晃寛 倉谷将弘(二見中) 中七海 西山利夫 中村敏雄 栗本郁夫 中村聡志 松野昌彦 大阪高校選抜-団体、大阪日日. (参考:近村,中平さんは立命ob) こな辺、影響ありましたかねェ. 5 明治一七年一〇月三〇日 (佐野常民・大給恒連名書翰)博愛社地方長官ノ加入希望; 6 明治一七年一一月 四日 遠祖秀郷事実考出版ニ付進呈; 7 明治一七年一二月 二日 唐沢山神社一件上表ス 東明会員参上予定ノ由紹介 (付)太政大臣宛上表ー神社昇格願 一綴. 明治5年、「東京日日新聞」創刊に関係する。岡山に帰省。 明治6年、関西遊覧しつつ東京日日新聞へ記事を送る。伊香保での病気療養ののち、「東京日日新聞」に主筆として入社。 明治7年、台湾出兵に従軍して『台湾従軍記』を連載。. 一津浪被害に罹る善後の事務を處辨せしめむが為め被害地を分割して四区とし毎区一名の出張員を置く事(桃生郡は被害地を分割し以下十七字を餘く) 二出張員は郡書記を以て之に充る事 三出張員は郡長の指揮を受け常に区内を巡視し左の事務を處辨する事 一食料小屋掛料農具料衣服家具料救助金の給与其他窮民救助に関する事 二家屋死体取片付家宅掃除飲料水検査其他衛生清潔法に関する事 三流潰家屋の建築及び建築地選定に関する事 四義損金穀物件支払分配等に関する事 五船舶魚網漁具等の新調修補に関する事 六農商工漁者の就業に関する事 七小学児童就学等に関する事 八道路堤防橋梁等の修築に関する事 九右の外善後の処分に関する一切の事務を監視する事 一罹災者に代り善後の計画施設に付出張員の協議に応ぜしむる為め各被害地部落に総代人三名以下を置く事 一総代人は毎被害部落をして総代人一人に付候補者各三名宛を推選せしめ郡長其中に就き適任者と認むるものに承認状を附与する事 一前各項の外施行上必要と認むる事項 右訓令に依り本吉桃生両郡長は知事の認可を得て善後処分法及び出張員配置区域を定め総代人を選挙せしめ郡書記を派出し其計画全く定まるを以て知事は更に蜀官五名に出張員を命じ郡長に於て定めたる各区に各一名出張し郡長の指揮を受け郡書記と共に其区内に係る善後事務を處理せしめたり其官氏名及び出張に際し演達したる訓令を挙ぐること左の如し 出 張 員 本吉郡第一区 蜀 千 葉 胤 継 同 第二区 蜀 佐 藤 令 史 同 第三区 蜀 安 藤 房 太 郎 同 第四区 蜀 後 藤 祐 吉 桃生郡第五区 蜀 武 沢 愛 次 郎 訓令 今般各員に出張を命じたるは津浪罹災者に対し諸般の善後事務を處辨せしめんが為めなり顧うに這回の津浪たる其区域数十里の広きに亘り其民家数千戸の多きに及び死亡者の埋葬生存者の救助負傷者の治療等焦眉の急に処するの事務枚挙に遑あらざりしも災後己に二ヶ月を閲し是等救急の事務は略お其緒に就きたりと雖も家屋の修築衣食の供給病災の予防を始め耕田漁魚其他百般の業務に従事し将来独立自営の途を立る等各人各個に於て今後計画施設を要するもの亦極めて多し今罹災者の為め是等の事務を處理するは頗る干渉に過ぐるの嫌いなきにあらざるも仰も非常災後の事務を處辨するに方りては亦須ぐ非常の手段方法を用いざる可からず況や災民が資を以て善後事業の財.

一位置 気仙沼警察署内を以て之に充つ 一所轄区域 本吉郡の内 唐桑村 大谷村 階上村 小泉村 大嶋村 鹿折村 松岩村 御岳村 一開閉 六月二十一日を以て之を開き八月二十五日を以て之を閉づ其間数凡七十日なり 一所長 始め収税長山田揆一を以て之に充てたるも在職数日にして石川県収税長に転任したるを以て変災当初より引続き気仙沼に出張同方面の救護事務を監督し居りたる警部長川路利行を以て其所長となしたり己にして同警部長は東園侍従の先導として各被害地を巡回帰庁せざるべからざるに至りたるを以て七月六日其所長を解き更に蜀菱田重厚を以て所長心得となせり 一所員 警部大内誠以下三名を以て之に充つ其官氏名左の如し 警 部 大内 誠 蜀 佐武 雄平 同 桜田富三郎 右の外本吉郡書記及各郡より応援として出張したる郡書記は郡役所の出張事務担任の傍ら本所の事務を補助せり其官氏名左の如し 本吉郡書記 石井 山治 宮城郡書記 嶺岸 大力 志田郡書記 三井 益治 伊具郡書記 森 善太郎 本吉郡雇 高野 清吉 一処務の梗概 本所の事務は救護、通信、運搬、救護員監督、死体及潰家取片、寄贈品及寄付金分配、被害町村巡視等固よ. Amazonで近村 博の危められた日日。アマゾンならポイント還元本が多数。近村 博作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また危められた日日もアマゾン配送商品なら通常配送無料。. 一位置 字相川の一民家 一開閉 六月十八日開院七月七日閉鎖救護期間凡そ十九日 一救護員 初め赤十字社支部派遣の医員佐藤熊之助以下九名救護に従事せしが開院後一日を経て悉く引揚げ爾来閉院まで村医日野源治以下二名及び事務員一名にて救護事務を担当せり 一患者 収容患者の総数は九十一名内男四十九名女四十二名にして死亡一名あり 初め開院の際直に重症者十名を志津川臨時病院に転送し其餘は皆軽症なるを以て別に患者を入院せしめたるものなし 患者重症の種類は孰れも外科的疾患にして打撲擦傷を多しとす 一残患者処分 閉院の際尚お三十六名の残患者ありしを以て更に之を村医日野源治大槻俊平に附托したり 戸倉臨時病院 一位置 本吉郡戸倉村字龍浜松林寺 一開閉 六月十九日午後一時半開院廿一日午後一時を以て閉鎖せり救護期間凡そ三日 一救護員 (不詳) 一患者 患者は其数総て二十九名負傷地を以て之を分ては波伝谷十名藤浜長清水各八名寺浜二名にして被害の多きに比すれば患者は比較的に少な く且つ殆ど重傷者と認むべきものなし蓋し本村は志津川町を距る約三里折立より龍浜に至る沿海は山路稍々険岨なれども折立以北は腕車を通し且つ海上波.

See full list on tsunami-dl. 年7月13日 閲覧。 ^ a b 都道府県別上位3紙 Archived 年3月19日, at the Wayback Machine. 皆さまからも募集します! ①下記に載ってない歌詞を知っている。 ②新作を作ってみた。 相川音頭 ・「相川音頭」は種類が多く、しかも各々長編で歌詞に違いもあるので「源平軍談」と「謡百番くづし」だけを掲載。. 私はわが體驗から確信し得られた、現在の次に來世のある事、現世の三十年五十年は永遠の來世に比べると短い修業の時、試驗の時である事、それで次の世に、病も癒えて永遠に樂しく生きられる事を目標として、病苦に耐へ、神樣の喜び給ふ事をせられ.

然るに公開せられている図書館では、年を 逐 ( お ) って発行せられた「武鑑」を集めていない。 これは「武鑑」、 殊 ( こと ) に 寛文 ( かんぶん ) 頃より古い類書は、諸侯の事を 記 ( き ) するに 誤謬 ( ごびゅう ) が多くて、信じがたいので. いにしえの風 斑鳩文化財センターだより(マイ広報紙)広報斑鳩(奈良県斑鳩町)年12月号♦江戸時代の徳川綱吉(つなよし)による福祉政策今月号では、平成28年度から、町で調査を進め. 571 出 311 歩い 254 し 242 持つ 138 連れ 128 降り 121 出かけ 96 下り 76 立つ 73 出掛け 57 なつ 53 い 52 消え 46 つい 43 訪ね, 逃げ 42 近づい 41 つれ, へ 38 ひつ 37 置い 35 け 31 いつ 30 れ 27 忘れ, 流れ 24 過ぎ 23 駈け 22 ぼつ 20 於, 離れ 19 導い 18 され 17 落ち 16 駈け出し 14. 一位置 本吉郡役所内を以て之に充つ 一所轄区域 本吉郡の内 十三浜村 戸倉村 志津川町 歌津村 小泉村 一開閉 六月二十一日を以て之を開き八月二十五日を以て之を閉づ其間日数凡七十日なり 一所長 初め参事官河村金五郎を以て之に充てたるも同参事官は当時知事の命に依り既に志津川を発し帰庁の途にあり依て出張中の蜀藤田秀睦に一時其代理を命じたるが参事官は帰庁後本部長補佐の事務に鞅掌し到底出張すること能はざるを以て七月五日其所長を罷め更に藤田蜀を以て所長心得となせり 一所員 蜀半田卯内以下五名を以て之に充つ其官氏名左の如し 蜀 半田卯 内 同 水町熊 太 同 佐藤令 史 同 玉虫六三郎 同 宮城惠那二 一処務の梗概 本所の事務は庶務、寄贈品、会計の四係とし庶務係は蜀半田卯内同宮城惠那二、寄贈品係は蜀佐藤令史、巡察係は蜀水町熊太、会計係は蜀玉虫六三郎之を担任せり 而して庶務係は人夫の出入来訪者の接待文書収受発遣其他庶務に関する事、寄贈品係は寄贈品の受入配布人馬舟車の雇入等寄贈品一切に関する事、巡察係は焚出の周到、寄贈品の分配其他罹災民の動静等査察の為め常に各被害地を巡視し其状況を報告する事、会.

海嘯凶報の当署に達したるは六月十五日午後十一時にして而して部内沿岸七箇村の嘯害は罹りたるを知りしは翌十六日午前三時の後なりき是れ気仙沼町は海浜に位するも幸にして毫も其害を被らず他村の状況は報告を得て始めて知るを得るに由る此時に当り応急の第一着手として海岸に沿わざる地の駐在巡査に故夫を馳せ之れと同時に一面は署詰勤務の巡査は署内の事故に応じ得べき人員を残して他は悉く各被害地に派して罹災民の救護に従事せしむ其配置左表の如し 六月十八日に至り警察本部の飛報に依り各警察署の警部巡査は応援として続々来署せしを以て折柄出張の警部長は先ず警部四名を便宜の地に配置し其配置地内の救護員を指揮監督し且つ一般の事務を処理せしめ又応援巡査の配置は受持警部の請求に依り或は所長に於て必要と認むる地に漸次配置したり其配置左表の如し 又石巻警察署より六月二十五日水上警察署の汽船を派して来援し専ら被害沿岸の海上に漂流せる死体の捜索漂流物の取締等に従事し七月七日を以て引揚げしが海上の取締に就ては頗る便益を得たり 以上記する處は当初配置せし處にして此複雑なる事務は素より一定の配置区域を墨守すること能わず事務稍々結了する. 大海嘯の飛報始めて本県に達したるは実に六月十五日午後十一時なりき、而して其飛報は本吉郡長の発する處にして「志津川に海嘯あり人畜の死亡多し」と云える簡単なる電報に過ぎず、此報の一い達するや知事勝間田実は直ちに参事官河村金五郎、蜀藤田秀睦、警部大内誠に命じ状況視察の為め即夜急行出張せしめたり翌十六日午前七時再び本吉郡長より「志津川海嘯被害数十戸人畜死傷夥し」との電報あり尋て牡鹿郡長よりも「女川海嘯被害多し」との電報あり是に於て知事は其事体容易ならずして且つ区域も亦志津川一方面に止まらざるを推知し蜀片野続に命じ桃生牡鹿両郡沿海の状況を視察せしめ自ら警部長川路利行、技師小泉郡司、蜀男沢庄次郎を随え同日午後二時志津川に向て出発せり是より先き河村参事官一行は途中人力車欠乏せるを以て半ば徒歩にて出張せしが為め時刻頗る遅延し午後八時に至り漸く志津川に達せり尋て知事の一行も来着したれば一同志津川警察分署に至りしに前夜来同署にて拾集したる死屍積んで山を為し一見酸鼻に堪えざるものあり是の時に当り道路梗塞人馬通せず各村落被害の状況は未だ全く之を詳にするを得ざるも郡町村吏警察官吏等の語る處に據れば志津川方面は此大海嘯の中心なるべく而して其余波各地に及び本吉郡は勿論桃生牡鹿二郡内も亦多少の害を被りたるは疑い無き事実なれば先つ部署を定めて視察及び救護に従事するに若かすと一決し知事は其部署及び救急の順序を左の如く定めたり 一知事は小泉技師を随へ志津川以北気仙沼地方を巡視する事 一警部長は志津川以南及び桃生牡鹿二郡を巡視する事 一河村参事官、藤田蜀は志津川に留り此方面の救護に従事する事 一救護の順序は負傷者救療を第一着手とし死体取片付及生存者救助を第二着手とし極めて敏速に之を行う事 一各方面の視察を終りたるときは知事、警部長、参事官は一先帰庁し更に救護の計画を定むる事 斯くて翌十七日は一同暁を冒して先ず志津川被害地を視察したるに其惨状は実に予想の外に出て半死半生の負傷者は各所に呻吟苦悶し流潰したる家屋堆積して所在山を成し満目荒涼凄惨の状筆舌の能く悉すべき所にあらず是に於て知事、警部長は二手に分れて南北二方面を視察するに各部落の惨状は志津川に比して更に一層甚だしきものあり積屍累々老幼婦女号泣の声濤声波音と相和し其状の惨憺なること目も当てらざる有様なるを以て一面は町村吏員巡査等に救療の方針を授け一. 【tsutaya オンラインショッピング】危められた日日/近村博 tポイントが使える・貯まるtsutaya/ツタヤの通販サイト!本・漫画.

津浪の惨聞四方に伝播するや金員を投じて救済の資に充てんことを請ふもの日に萬を以て数う是に於て知事は津浪臨時部中特に義損金取扱主任を置き其領収したる金員は国立銀行に保管預けとなし其金員及び姓名は新聞紙に広告し以て領収の証左に換え其金額拾圓以上のものには知事の名を以て特に謝状を贈与せり又直接被害地に向て義損せしものは郡長をして受領の手続を為さしめ其金員は取纏め之を本題に送納せしめたり 而して以上義損者の種類を挙くれば 一、個人の名を以てせしもの 二、団体の名を以てせしもの 三、新聞社に於て募集せしもの 四、有志者に於て募集せしもの 五、外国人に於て募集せしもの 六、海外在留本邦人に於て募集せしもの 等にして其金員の最も多額なるは殆んど壹萬圓に近きものあり最も少額なるは銭厘の僅徴なるものあり亦以て貴顕紳士豪商大農より孀婦貧人に至るまで挙て社交的の情義に因り分に応じ資を投じたるの一班を推知す可きなり抑も該義損金の性質たる前陳の如くなるを以て其配付に就きては特に慎重を加え独断専行或は施為其の宜しきを得ざるあらんことを罹れ商議会なるものを組織して其の意見により之を処分し被害地各郡長をして其の監督保護の責に任せしめ被害者をして生計必要の原資に充て不急の事物に費すこと莫らしめ以て志士仁人の厚誼に負かさらむことを期せり乃ち其の商議会の組織左の如し 津浪罹災者救助義損金処分商議会組織 一津浪罹災者救助義損金を処分するに付商議会を設く 二商議会は左の人員を以て組織す 一宮城県書記官同警部長同参事官 一被害三郡長 一仙台市長 一県会議長 一県参事会員 一義損金最多額者三名 三会長は知事若くは代理者之に当る 四商議会は県庁内に開く 右に依り知事は左の諸氏に義損金商議会員を嘱托せり 書記官 一坂俊太郎 警部長 川路利行 参事官 河村金五郎 本吉郡長 八乙女誠次 桃生郡長 鈴木太郎作 牡鹿郡長 島崎直信 県会議長 藤澤幾之輔 県参事会員 南條文五郎 同 松岡馨兒 同 斎藤信太郎 同 伊藤泰造 仙台市長 遠藤庸治 義損金多額者 金須松三郎 同 松倉 恂 同 遠藤敬止 商議会は七月二十二日八月一日九月二十三日の三回県庁会議室に於て開きたり其会議の於て定めたる義損金配付の規則は左の如し 義損金配付規定 第一條 義損金は左の三種に依り配付するものとす 第一種 備荒儲蓄金又は国庫救済金の救助を受けざ. ピックアップ いばらの冠 1/神尾葉子 isbnコード:. (Tritonn-commit 101) - Tritonn osdn. 本書の発売日は10月25日です。 本書は、大人気となりました漫画『花より男子』の作者:神尾葉子さんの最新コミックです。.

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罹災者は概ね家産を蕩尽し僅に身を以て免れたるものなるが故に着るに衣類なく食うに器皿なし故に当時救済に急なるものは金銭にあらずして寧ろ物品にあり大方の慈善家亦此点に注意し日用の衣服調度より食用品に至るまで争うて之を寄贈し其配付を県庁に委托するもの甚だ多し依て県庁は之を新聞に広告して尚お必要なる物品の種類を掲げ之れが寄贈を促したるに仙台市内は勿論東京其多数百里外より汽車又は汽船に搭載し本庁に向て寄贈するもの積んで山を成し其数総て十四万一千十一点の多きに及べり今其物品の種類を挙ぐは実に左の如し 自明治二十九年六月二十一日 至同 十月 五日寄贈品調 一被服 七万一千百八点 単衣 袷 襦袢 綿入 シャツ 肩当 股引 脚袢 ズボン下 帯 洋服 手甲掛 裙 褌 法被 帷子 腹掛 手袋 帽子 手拭 白木綿 毛布 布団 半纏 蚊帳 前掛 解皮 危められた日日 - 近村博 危められた日日 - 近村博 反物 縫絲 上敷 ツンヌキ 足袋 敷地 一食品 二千八百二十五点 沢庵漬 味噌 梅干 奈良漬 茎漬 味噌漬 コンデンスミルク 煙草 菓子 ラッキョウ漬 鮭缶詰 乾板 佃煮 ビスケット 一器具 三万三千百四十点 皿 茶碗 椀 包丁 箸 柄杓 杓子 壜 箆 鍋 釜 盥 徳利 行平 土瓶 鉄瓶 手桶 水呑 盆 平鍋 飯鉢 飯入 笊 漏斗 火箸 貝敷 膳 擂鉢 五徳 俎 湯釜 急須 盃 丼 重箱 椀蓋 挽鉢 洗桶 薬缶 ランプ 火鉢 弁当 茶壺 大平 針 茣蓙 枕 煙管 煙草入 雑巾 団扇 下駄 足駄 十能 箒 行李 提灯 笠 鼻緒 風呂敷 布巾 筵 薄縁 扇 鉄葉油入 櫛 畚 茶台 算盤 鍋蓋 カンテラ 鋸 草履 鏨 傘 戸棚 机 轤 一雑品 三万三千九百三十四点 薬 ガーゼ 亜麻仁油紙 塵紙 紙 古綿 ランプ芯 裁縫具 石鹸 臭気止 荷筵 雑誌 書籍 筆 石筆 硯 石盤 習字草紙 石盤拭 墨 縄 草鞋 総計十四万一千十一点 備考 一被服中縫糸は総て一把を一点と算せり 一食品は凡て一樽、一缶、一箱を一点と算せり 一器具中、箸、火箸は一膳、重箱は一組、針は一本、下駄草履等は一足を一点と算せり 一雑品中薬は一袋、亜麻仁油紙は一枚、紙は一帖、筆、墨、石筆、石盤拭は一袋を一点と算せり 以上の物品は孰れも一時の急を救うに必要なるが故に県庁に於ては県会議事堂を之れが集配所に充て寄贈に従い昼夜を論せず一旦荷解をなし一々其物品を点検して凡そ配付す可き数量個所を. svn 114 Added ramdom Japanese data generator. 一位置 本吉郡歌津村字伊里前尋常小学校 一開閉 六月十七日(十八日)開院七月六日閉院救護期間凡二十日 一救護員 赤十字社支部医員桜田三六以下四名外に第二高等学校生徒七名救護に従事せり 一患者 当病院に於て取扱たる患者の数は総て百〇八名内入院二十七名外来八十一名外科的疾患就中打撲裂傷切傷等の多きこと他の病院に於けるが如し入院患者の重症は九名にして内死亡二名あり共に異物性肺炎に罹れるものなり 一残患者の処分 閉院の際残患者五名を志津川臨時病院に転送せり 名足臨時病院 一位置 本吉郡歌津村字名足尋常小学校 一開閉 六月十八日開院七月五日閉鎖救護間凡十八日 一病室 校内の二教室を以て病室に充てたれども元来狭隘にして且つ破損せるを以て辛うして各患者二十名を収容することを得たり 病床は室内歩床のみなるを以て琉球表或は藁を布きて之に充て寝具の如きは最初各自携帯せる蒲団又は毛布を用いたりしが六月二十二日午後より赤十字社寝具用毛布を使用せり(其用法は布団皮なきを以て床上に厚く藁を敷き上に琉球表を展布し然る後之を被うに毛布を以てしたるものなり) 一救護員 陸軍二等軍医奥谷虎彌太以下十名主として救護の. 一位置 初め本吉郡志津川公立病院に開設し後同地大雄寺に移転せり 一開閉 六月十七日午後四時開院七月三十一日閉鎖救護期間四十五日なり 一病室 公立病院の病室は従来其数七八に過ぎずして僅に二十名内外の患者を容るべきのみ到底多数の患者を収容することを得べからざるを以て止むなく其東隣なる志津川尋常高等小学校の教室を以て病室に仮用し約三十名の患者を収容したりしも薬料食品等の供給上不便尠なからざるを以て重症者は可成的本来の病室に入るることとせり 七月五日当病院を志津川町の西北端なる大雄寺に移転せり乃ち本堂及び其両側の座敷併せて凡そ三十三坪餘を以て病室に充れしが尚お狭隘なるを以て更に広縁下の一部五坪餘を区劃して畳を敷き此處にも患者を収容せり 一救護員 初め赤十字社支部幹事宮城病院長山形仲芸外医員六名薬剤師一名看護婦四名を以て救療に従事せり 一患者 開設当時収容せる患者は海嘯当夜より入院継続の者十三名之に新患者を合して約五十名なりしが後二十二三日の頃に至りては実に七十三名の多きに上れり 七月五日大雄寺移転の際は患者総数三十五名なりしが同日午後一時名足臨時病院より十七名六日伊里前臨時病院より五名を.

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